メインブログの記事"健康の選択"に綴った、由井寅子さんの文章です。
その子が決めているんです、自分の人生を。
親だからといって、あなた方がすべての責任を担ぐ必要はない。
インドというところは"死ぬことも生命の始まりなり"という哲学が通るところだ。
ガンジス川に死体を返して、もう一度生まれかわるということがインドでは通じるんですよ。
日本も仏教国だから通じているはずなんですよ。
ところが流産した人たちから、「あなた方がレメディーの選択を間違えたくせに」
「レメディーでは私の子どもの流産を止められなかったくせに」とか言われるときもあるんですよ。
だから最初に私は、このレメディーはあなたの出血を止めるレメディーでもあり、流すレメディーだ。
この胎児は奇形ならば流れるわけだ。
これは本当にレメディーと胎児が相談して決めているからねと言うの。
それが自然の摂理なんですよ。
それを言うとすごい怖がって一足飛びに逃げる人間もいる。
これは第三の目が開いていないからだ。
どうして死ぬことに対して泣いてわめくか。
誕生することに対しては手を叩いて喜ぶんだけど。
がんで点滴を打ちながら、カテーテルを入れながら、
チューブをいっぱい付けて苦悶しながら生きなきゃいけない。
死なない限り、何をしても許される、そういう学問はちょっと間違っているんじゃないか、ということだ。
畳の上で死のうと思ったら、今はえらいことになる。
どこでもぽっくり死ぬもんだよ、人は。
しょうがないじゃないか、そしてまた、肉体という新しい上着、乗り物を貰って生まれてくるんだろ。
ぼろぼろになった体は、もう治せない場合は死んだ方がいい場合もある。
これは自然の摂理だから止められない。
それで人口誘発剤とかそういうもので子どもを産んで、それでいいのということ。
人の生死というのは、あなたの範疇から飛び出たところにあるんだ。」
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