2010年8月14日土曜日

ホメオパシーガイドブック『バース(出産)』より 2


メインブログの記事"健康の選択"に綴った、由井寅子さんの文章です。

「仏陀は「この子が3ヶ月で生きて死ぬと決めたものを、
親のお前がなぜなく必要がある」と言います。
 その子が決めているんです、自分の人生を。
 親だからといって、あなた方がすべての責任を担ぐ必要はない。

 インドというところは"死ぬことも生命の始まりなり"という哲学が通るところだ。
 ガンジス川に死体を返して、もう一度生まれかわるということがインドでは通じるんですよ。
 日本も仏教国だから通じているはずなんですよ。

 ところが流産した人たちから、「あなた方がレメディーの選択を間違えたくせに」
 「レメディーでは私の子どもの流産を止められなかったくせに」とか言われるときもあるんですよ。
 だから最初に私は、このレメディーはあなたの出血を止めるレメディーでもあり、流すレメディーだ。
 この胎児は奇形ならば流れるわけだ。
 これは本当にレメディーと胎児が相談して決めているからねと言うの。
 それが自然の摂理なんですよ。
 それを言うとすごい怖がって一足飛びに逃げる人間もいる。
 これは第三の目が開いていないからだ。
 どうして死ぬことに対して泣いてわめくか。
 誕生することに対しては手を叩いて喜ぶんだけど。
 がんで点滴を打ちながら、カテーテルを入れながら、
 チューブをいっぱい付けて苦悶しながら生きなきゃいけない。
 死なない限り、何をしても許される、そういう学問はちょっと間違っているんじゃないか、ということだ。
 畳の上で死のうと思ったら、今はえらいことになる。

 どこでもぽっくり死ぬもんだよ、人は。
 しょうがないじゃないか、そしてまた、肉体という新しい上着、乗り物を貰って生まれてくるんだろ。
 ぼろぼろになった体は、もう治せない場合は死んだ方がいい場合もある。
 これは自然の摂理だから止められない。
 それで人口誘発剤とかそういうもので子どもを産んで、それでいいのということ。

 人の生死というのは、あなたの範疇から飛び出たところにあるんだ。」


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