2011年3月21日月曜日

妊娠40週 出産(最終章)


私の正体が分かった。動物だった!
動物を産んじゃった!
そして、未来を産んだ。
お腹の中から、未来が、これからの長ーい冒険が、ズルズルズル~っと出てきた!
奇跡の命。
命の奇跡。

無痛分娩90%のパリで不思議がられながらも、望んでいた自然分娩で産み、
癒着胎盤により結局赤ちゃんを産んだ後に脊髄注射で麻酔をし、笑
胎盤を取り出して、会陰裂傷の傷を縫い、大貧血でヘモグロビン点滴を打って、
まるで戦争に行ったような、それはそれは過酷な経験をした。
とにかく痛くて、とにかく辛くて、
陣痛のピーク時には「もう二度と出産なんてしたくない!」と思ったりもして、
結局は超安産だったにも関わらず、産後のハプニングと体中の痛みに
「もう普通の生活には戻れないはず」とまで思い込んだりもしたけど、
結局、出産を振り返ってみて一言で表すと、
そんなのぜーんぶ忘れて「たのしかった~!!」にすり替わっちゃっているのでした。
出産てすごい。

本当に結果的には、
いろんなことを学び、とっても満足のいく素晴らし~いお産になった。
自然派にこだわってた私が、現代医療に助けられた。
命を生かしてくれることのありがたさを身にしみて感じた。

今までの人生で、自分の命を削ってでも守りたいと思うものって、
はっきり言ってなかったし、考えたこともなかったけど、
自分はどうなってでも、この子だけは守りたいと動物的本能で思った。
貧血で呼吸困難になり気を失って、「死ぬかも」と思った時、本気でそう思った。

女に生まれてきて、子供を産まないで終わっていくのは、もったいない。
女の人は、子供を産むために導かれて進んでる。
生理があるのはもちろんのこと、人生のパートナーと出会っていくのも、
その過程で仕組まれてる気がする。
まるで、赤ちゃんに導かれて。
なかなか授からなかった私は、2度の初期流産を経て、どんどんこだわりを捨てていった。
遂にやってきたこの子と共に、自分の中の隅々を大掃除して、大きな浄化ができた。
現代医療を避け、なにがなんでも自然でありたいというのも、
大きなこだわりの固まりだったということにも気づいた。
出産て、そういうことのような気がした。

今までブログにいろいろ考えを綴ってはきたけど、
実際に体験して強く思うのは、本当に出産は、まさに母と子の共同作業の大仕事!
私も頑張ったけど、赤ちゃんもそれ以上に頑張った!
無痛分娩で、赤ちゃんだけが頑張って、母親がラクするなんて、ちょっと悲しい。
陣痛を感じないで降りて来るのをただ待つだけなんて、
必死に頑張ってる赤ちゃんが不安になる。
手伝ってあげなくちゃ。
この子の人生の大切なスタートを。
お母さんの手助けを待ってる。
出産からもう育児って始まってる。
お母さんの愛で包み込んであげなくちゃ!


1211
日本式予定日から2日過ぎた朝、
いつもと違うお腹の痛みとおしるしがあった。
おしりのあたりがズーンと痛み、陣痛が始まった。
3分、5分、7分、と間隔がばらばらなので、助産婦さんと連絡を取りながら、様子を見た。

昼過ぎ、間隔が10分置きになり、少し遠のきだした。
陣痛をつけるために、仕事を切り上げて帰ってきてくれた旦那さんと、
がんばって買い物にでかける。
産院に行ってからのエネルギーとなる食べ物、シリアルクッキーとか、
ドライフルーツとか買って、ひーひー言いながら、家に戻るけど、あいかわらず弱くなる。
「今日じゃないか~」なんて言いながら、夕飯を作って食べた。

22時頃、また間隔が狭まり、強くなってきた。5分間隔。
助産婦さんに電話して、産院に行く準備をする。
でも、まだ痛みも「こんなもん?」てくらいの余裕があったから、
ギャグし合ったり、陣痛記念写真撮ったり、バカなことしながら、徒歩5分の産院へ向かう。

23時、産院に着いて、陣痛室で子宮口を見てもらうと、まだ全然開いていない。
家も近いし、まだかかるだろうと言うことで、いったん戻ることになった。
「また遠のいていくかもしれないから、家でゆっくりエネルギーを蓄えておきなさい」
と言われ、入院荷物は置いて、家に戻る。

12月12日
日付が変わり、お風呂に入って「明日がんばろう~」なんて思ってると、
なんか、どんどんガンガン、痛みが強くなってくる。
お腹がうねうねうねりだして、赤ちゃんがものすごく動いてる。
がんばってる。出たがってる!!
激しい胎動と陣痛とが、繰り返しで来て、もう、話せない。
立ってもいられないし、痛みの波がぐわんぐわん寄せてきて、
何分間隔だったのかは、計れなかった。

午前4時半。
旦那さんに助産婦さんへ電話してもらい、産院までのたった徒歩5分の距離を歩けず、
今度はタクシーを呼んで、産院へ再度向かうと、すでに子宮口は3cmも開いてた。
陣痛室で、アロマバスを用意してもらって入ると、
痛みは和らぐんだけど、出るとさらにまた恐ろしいほどの波がきた。
この時の状態をあとから人によく聞かれるけど、
もう「痛い」でなくて「壊れる!」というかんじ。
氷点下30℃の場所に行くと、もう「寒い」じゃなくて別の感覚になるのと同じ。笑
ベッドで横になって、ソフロロジーの呼吸法、息をフーッと吐きながら痛みを促す。
おしりのあたりが重ーくなって、痛みとそのムズムズ感で気持ちが悪い。
波に乗って赤ちゃんがずんずん降りてくるのが分かる。
体がこ・わ・れ・るー!!!
破水するような音がして、もうすぐだな、っていうのは分かった。
触って欲しくないから、旦那さんも何もできず、横で疲れて寝てしまっっていた。
助産婦さんも、隣の部屋にいて二人きりにしてくれてる。
夜中に、薄暗く静かな部屋で、ひとりで戦った。
じゃなくて、赤ちゃんと二人で!
陣痛が今、何分置きかなんて、到底計れないし、でもとにかく息を吐いて、
吐ききれるとこまで吐いて、自然に入り込む空気をお腹に送った。
そしてずっと心で叫んでた。
「赤ちゃん、がんばって!!上手に降りてきてね!!」
赤ちゃんが出してくれる波の合図に従って、私の体は機能してた。
私自信の意思はもうそこになくて、赤ちゃんと私の体だけで、進んでた。
私の体を借りて、魂同士が活動してるってかんじ!
それはそれはすごいエネルギー!!
呼吸法が乱れてきて、その変化に気づいて、助産婦さんが分娩室へと誘ってくれた。

午前7時半。
言うこと聞かない体をがんばって動かして歩いて、エレベーターに乗る。
口から勝手に叫び声が出てくる。体の奥の方から勝手に出てくる。
この時から、私は動物なんだという再確認が始まってた。
旦那さんにしがみついて、エレベーターの中で生まれそうで怖かった。
分娩室に着くと、ベッドの上で、ヨガの猫のポーズになった。
収縮の波が来ると同時にいきんで、ひいては休んでエネルギーの充電。
ちゃんとそういう時間が与えられてることに感動。
何度かいきんで、疲れてきたので、普通に分娩台に横になる。
もう本当に体力がなくなってきて、口から出る言葉もフランス語じゃなくなってる。
覚えてないけど、旦那さんが撫でてくれたり、声かけてくれたり必死でしてくれてた。
仰向けの状態で、自然に任せて何度かいきむと、
旦那さんが「頭が見えてる!がんばれ!」と言ってるのが、ぼーっと聞こえる。
いきんでもいきんでも、それ以上強くできないので少し焦った。
助産婦さんが何度も赤ちゃんの心拍を聞いてるのにも焦った。
経ってる時間なんてさっぱり分かんなかったけど、
長引くとよくないな、と思って、今度はおもいっきりためて、おもいっきりいきんでみた。

午前8時35分。
なんか下がパシっと切れるようなかんじがして、太ももにヌルっと温かいのが触った。
と思ったら、甲高い赤ちゃんの泣き声が!!
私も、我を忘れて、おもいっきり声をあげて泣いた。
二人とも、正真正銘の動物。
「おぎゃー!!」と「わあーーん!!」で、動物の親子。
必死すぎたので涙はとても出なかったけど、わんわん泣いた。
感動... 旦那さんと三人で、家族みんなひとつになって、奇跡の大仕事を果たした。
人間を産んだという不思議な感覚がして、体の震えが止まらなかった。

助産婦さんが、そのまま赤ちゃんを胸の上に乗せてくれて、
生まれたばっかりなのに大きい目をぎょろぎょろさせて、おっぱいを探して、吸ってくれた。
旦那さんがへその緒を切った。
その時に、助産婦さんが「Bon voyage!」って言ってくれたのが、
なんかかわいくてホッとして、この子の長い人生への独り立ちを祝う優しい気分になった。

長い間戦った気がしたけど、産院に着いて、たったの4時間で出産。
9時間前には子宮口も全く開いてなかったのに。
私の疲れと体力を気遣って、急いで降りてきてくれたような気がして仕方ない。
たった4時間で、赤ちゃんはせっせと仕事をこなしてくれた。

すっごく痛くて、すっごく辛くて、すっごく大変だったけど、
赤ちゃんが胸に舞い降りて、一瞬で世界が変わった。
世界中のすべてのお母さんがこれを経験してると思うと、感激。
私の両親も、友達も、産院の先生も、看護婦さんも、タクシーの運転手も、
窓口のおばちゃんも、店員さんも、芸能人も、政治家も、犯罪者も、
みんなみんな、こうやって生まれてきたんだ...

感動してるのも束の間、胎盤を出すための収縮がなかなかこない。
もう疲れてしまったからか、ほっとしたからか、助産婦さんに「いきんで」と言われても
陣痛が来ないから、全然力が入らない。
お腹をギューッと押されるけど、痛いだけで辛かった。
何十分も経過して、出てこなそうなので、部分麻酔をして出しましょうということになった。
結局、自然分娩で生んだのに、あとで麻酔をするはめに...
脊髄に麻酔を注射して、胎盤を人工的に出してもらった。
私は麻痺してて知らなかったけど、旦那さん曰く、かなりの出血だったよう。
会陰も裂けてしまったので、傷口も縫ってもらい、
助産婦さんにホメオパシーのレメディと、バッチフラワーを口に入れてもらって、
赤ちゃんを胸に乗せたまま、気がつくとお昼頃になってた。

入院する部屋に向かうため、麻痺してる下半身を支えてもらって、
動こうとすると、目の前がフッと真っ白になって、血の気が引いていくのを感じた。
自分の体が冷たくて、息が普通にできなくなって、苦しい。呼吸困難!!
肺の奥の方から、できる限りのの酸素を吸い込む。
目の前の旦那さんがふわ~っと見えなくなって、声だけが聞こえる。
やばいなーと思った。
このまま意識がなくなったら、本気でやばそうだったので、
がんばって頭の中だけは起動させてた。
一瞬、「この子をよろしくね...」と思った。
看護婦さんが足を上に上げてくれたら、じわじわと体中にわずかな血液が流れ出して、
旦那さんの洋服の色が見え始めた。
大量の出血のせいで、貧血に。

部屋に着くと、ここからは、助産婦さんの仕事でなく、
クリニックの病棟ということになり、お世話してくれる人が変わる。
ベッドの隣には、まだ羊水や血液のついた赤ちゃんがいて、
私が編んだセーターを着せてもらってる。
透明プラスチックのベビーベッド越しに、動かない体を横たわらせて、
ゆっくりむにゃむにゃ動いてる赤ちゃんをただただボーッと見てた。
無事、産めてよかった...
私の体はどうなってもいい、赤ちゃんさえ元気いっぱいででてきてくれて、
本当によかった、と泣いた。

あとで聞いたら、胎盤が出なかったのは、
妊娠初期に絨毛膜化出血だったせいじゃないかと言われた。
流れる寸前だった胎盤が、子宮壁に強く癒着して、そのままの状態で成長していたそう。
そうだ、この子、一度、大量の出血で流産と言われて、その2週間後、
しっかりと私のお腹の中ですくすく育ってた。
その時、この子が「生きる!」って決めたんだ。
流れずに、しっかり私のお腹にしがみついててくれた結果だった。
それを私は手助けできた。
それを聞いてから、麻酔を打ったり、
なるべくしたくなかった医療的な処置を取らざるを得なかったことへの考えが変わった。
それまでは、人工的に胎盤を処置したことに、少し不満があった。
普段、自然派ぶってる私が、現代の医療に助けられて、健康でいられることができた。
癒着胎盤での母体死亡率は3%もあると、あとで知って驚いた。
昔は、麻酔もなかった。ヘモグロビン点滴もなかった。鉄剤もなかった。
人々の寿命も短くて、なにかあれば死は近かった。
この子を自然に授かり、この子の意思で生きようと決めて、
私の本来の力で、ツルツルの健康な赤ちゃんを自然に産めたことに、まず感謝。
私がたとえ薬漬けでしか生きられなくなっても、
この子が健康で元気いっぱいであったら、この上ないとは思ったけど、
やはり母子ともに、素晴らしく健康でいさせてくれたことに、なによりの感謝。

夕方になって、麻酔が切れてくると、
少しずつ動けるようになり、赤ちゃんをいっぱいいっぱい抱っこした。
その晩には、私の免疫がたくさん入ってる初乳というのが出るようになった。
私の羊水のついた赤ちゃんの体は、翌日の沐浴まで洗われなかった。
赤ちゃんの皮膚に付いてる胎脂には、赤ちゃんの体温を保ち、
皮膚表面からの雑菌の侵入を防ぐ役割があるそう。
羊水や血液が付いてカリカリになった髪の毛を撫でて、何度も何度もキスした。

クリニックで用意された透明プラスチック製のベビーベッド越しに、
一晩寝てみたものの、気になって気になって、眠れないし、
なにしろその距離と、プラスチック越しということに不満があって、
翌日からは、自分のベッドに一緒に寝かせた。
初日の晩には気づかなかった、赤ちゃんの寝息とか鼓動とか、
お腹のぐるぐる言う音や、気管支の音、やっぱりそばにいないと分からない。
それが安心で、少し眠れた。

貧血のためヘモグロビンが低下してるということで、2日間点滴を打った。
フラフラするので、トイレとシャワーくらいしか行けず、ほぼ寝たきり。
鉄剤と貧血のホメオパシーレメディも処方された。
そしてとにかく体中が痛かった。
がんばった腰と背中、切れて縫った会陰、張ってくる胸、母乳を通すために割れる乳首、
ヘモグロビン点滴をしたときの左手の針跡の傷、貧血と痛みからくる頭痛...
授乳をしたいからなるべく飲みたくなかった鎮痛剤、だったけど、
痛みがストレスになりかけていたので、赤ちゃんと向き合うために、
逆にちゃんと授乳をするために、飲んだ。
信頼してる助産婦さんにも、ストレスを和らげるためには、飲んだ方がいいと言われた。
現代医療の薬とホメオパシーを摂りながら、日本もこうあるべきだといいのに、と思った。
お互いの役割。

初日から、なかなか赤ちゃん泣かないね、なんて言ってたら、
2日目の昼頃から、やたらおっぱいを長時間吸うようになって、
夜には、1分でも離すとただただ泣くだけの過酷な時間がやってきた。
夕方頃からぐずり始め、おっぱいをくわえてないと泣き止まない状態が
夜中の3時頃まで続き、旦那さんとヘトヘトになって、交互に抱いて、困った。
乳首はとにかくヒリヒリ痛いし、まだしっかりお乳が出てないのは分かってたし、
でも赤ちゃんは猛烈にお腹を空かしてる。
産まれてから、まだほとんど何も口にしてないんだもん。
もう耐えられなくなってナースコールを押した瞬間、ふわ~っと白いお乳が出るようになった。
びっくり。
赤ちゃんがごくごく飲むのを感じて、感動した。
それからは、あんなに地獄だと思っていた時間が消え去って、
赤ちゃんはぐっすり寝てしまった。私たちもゆっくり寝れた。
こうやって、おっぱいって出るようになるんだ...
赤ちゃんが、寝れなくて疲れてきた私たちを助けるために、
早く出るように出るように、一生懸命誘ってくれたような気がした。
陣痛のときもそうだった。
体力がなくなってきて疲れ始めた私を見かねて、急いで降りてきてくれた気がした。
本当に、育児って最初から何から何まで、共同作業だなと思う。
あとで読んだホメオパシーの本に「おっぱいの準備ができると赤ちゃんは泣くようになる」
と書いてあった。
私と赤ちゃんの繋がりを、改めて実感した。

そしてもうひとつ知らなくて驚いたことは、
赤ちゃんがおっぱいを吸うと、必ず子宮収縮が起きて、陣痛のような痛みがあること。
そしてその後、必ず出血する。悪露が出る。
子宮の中に残ってるいろんなものが、赤ちゃんの力によって、外に出されてく。
これには感動した。
赤ちゃんが、私の体をきれいにきれいにしてくれる。
薬が入ってしまった母乳もしっかり飲んで、排泄してくれる。
いつかの日記にも書いたけど「おっぱいを飲んでくれて、ありがとう。」と常に思う。
本当に、出産とは浄化。

貧血で寝たきりのため、沐浴やオムツ替えは、全て旦那さんにやってもらった。
この産院が、家族同室で、本当によかった。
じゃなかったら、看護婦さんに全て任せなきゃいけなかったのかな、
産まれたときから、家族の力で、一つになって、助け合うことができてよかった。

でも、とにかく入院時の食事がまずかった。さすがフランス。
出産した直後の昼食に、どかーんと骨付きチキンとチーズとパン。笑
翌日からはベジタリアンを選べたけど、機内食以下の冷凍系の野菜に、
おいしくないパン、チーズ、ヨーグルトに、ジャンクなデザート...
それに見かねて、毎日旦那さんが、
わかめと梅入りの玄米おにぎりと、Bioの野菜でお弁当を作ってきてくれた。
それがどれくらいいいエネルギーになったか..
ましてや赤ちゃんにも流れていく大切なエネルギーになるんだから、
入院の食事、改善したほうがいいと思った。
ここまで助産婦さんに見てもらえる範囲だったら、さぞよかったのに。

クリニック専属の小児科の先生が来て、
赤ちゃんにビタミンKの処方箋を置いていった。
薬局で買って、週に何回だか忘れたけど、与えなさい、と。
日本ではホメオパシー関連で問題になったビタミンK。
私的には、母親がしっかり栄養を摂れば必要ないんじゃないかと思ってるので、
助産婦さんに聞いてみたら、
「必要ないわ、あなたがしっかり食べれば大丈夫。」と言ってくれた。
小児科医を探してると尋ねたら、
「そのへんのお医者さんに行くと、薬やらワクチンやらで信用できないし、
おまけにフランスの医者は母乳よりミルクを与えたがる」と、
信頼できるホメオパスの小児科医や乳児用のオステオパスを紹介してくれた。
予防接種はできるだけ与えたくないので、理解あるドクターがいると安心。

でも、こんなクリニックでも、
私が赤ちゃんを自分のベッドに寝かせてるのを見て、誰にも何も言われなかったし、
生まれたての赤ちゃんに、ニットのセーターや帽子、靴下を着せてくれたことに
日本の母はびっくりしてた。
日本は生まれたての赤ちゃんを、無菌・殺菌で守るけど、それとだいぶ違うよう。
おっぱいがなかなか出ないと2日目に搾乳機を持ってこられた時も、
クリニック共有のもので、水洗いだけされたものだった。
(哺乳瓶も乳首も!それには私もびっくり)
沐浴のさせ方も、最初にボディーソープで体をあわあわにして、
そのあと37℃のお湯に、じゃぼーんと入れるだけ。石鹸取れてないと思う...
日本のようにガーゼを胸に置いて、そおっとそおっと丁寧に、
というかんじでは全くなかった。笑

文化の違い、先生の考えの違い、いろんなことのど真ん中で、
私はいろいろ考えながら、これから赤ちゃんを育てていく。


たった今、これを綴りながら、隣ですやすや寝息を立ててる小さな赤ちゃんを、
『響花(おとは)』と名付けた。
自然の響(おと)と共生する力強い野花のように、
たくましく生きてほしいという想いを込めてつけた子の名前、
「響」の字は実は旧漢字で、画数から人格を読むと、なんと
『挫折から立ち直る』とあって、びっくり。
流産をも跳ね返して、すくすく育っていてくれた、まさにそのままの人格!!

出産してから、すでに3ヶ月が経ち、体重は5100g、身長は10cm伸びて57cmになった。
声を出して笑うようになって、喃語や泣き声に"意思”が宿り始めた。
首も据わって、ものすごいスピードで、ぐんぐん成長してる。

お腹の中にいる時から、満月の日は"成長する日"だったのを思い出した。
生後初めての満月の日に、へその緒が取れ、
1ヶ月の満月では突然笑い始め、2ヶ月の満月には自分の指を見つめだし、
"自分"というものに気づきだした。
3ヶ月の満月は、突然首が据わり、今までげんこつでの指しゃぶりが、
親指だけをしゃぶるようになって、ますます子供っぽくなってきた。
声を出してけらけら笑い、透き通った目を細めて見つめてくれると、
ぎゅうっと抱きしめて、ほんと食べたくなる。

出産時、へその緒を切る時、助産婦さんが言ってくれた「Bon voyage! 」
この世界にようこそ!
いっぱいいっぱい、いろんな旅をするんだよ、
お母さんはあなたを産めて本当に幸せです。
生きててよかった。

女の人は、出産ごとに"産み終わった感"の有無を感じるらしいけど。
私は、まだない。
まだまだ産みたい!
私には、まだ産む使命がある気がする。
またその時が、楽しみ。
なんとなく、できるなら、今度は日本で、畳の上で産んでみたいと思った。

生後1ヶ月の響花。